ペットとの共存

  家族離れが進む現代の中で何を求めていくのだろうか。各々が勝手に生きていくのだろうか。そうした場合、家族との接点は何があるのだろうか。考えれば切りがない。そこで、登場するのが犬、猫、鳥などのペット達である。彼らはとても愛らしい。人の心を和ませてくれる存在、そして、家族との接点にもなってくれる。

  私の家でも犬を飼っている。家族との中継地点というか居るだけで和み、そして家族との会話に花が咲く。家に帰ってくると、しっぽを左右に振って出迎えてくれる。その表情と言ったら何とも言えない。それだけでも癒してくれる存在だ。まだ、家に来て10ヶ月弱と短いが、家族の一員として生活をしている。

     わが家の愛犬、めぐ(♀)


  段々と人間の言葉を理解してきている。何かを、頂戴とか言うと持ってくるのだ。とにかくかわいい。言葉には言い表せない。ちょっと、生意気だがそこもいい。5年、10年後はどうなっているのか。家族も犬も年をとる。当たり前の事だ。その中で生活がどう変わって行くのか。今の状態が保持されていくのか。疑問が常に膨らんでいく。
  ただ解かっている事は、これから15年近く共に生活をしていく事になるだろう。
  だが、いつかは、別れの時が来る。考えただけでぞっとする。
犬は、生まれながらのサービス業、時たま吼えるが、それは商売、人間が話すのと同じだ。愚痴をこぼす訳でもなく、ウソもつかない。もう、居るだけで私は十分、満足している。とくに、家族との接点になっている。

さて、私の愛犬の話しはこの辺にし、最近の賃貸、分譲住宅事情はペット同居OKの所が増えてきているのが現状である。当たり前だと言いたい。私は強く強調してきた内の一人だ。やっと動物も家族だと言う事を大家や業者が理解してきたと考えている。いや、そう願いたい。(未だ中には、そういう条件を付けないと、エンドユーザーに受けが悪い。要は入居目的の為だけに営利目的で考えている人もいる。)確かに、動物が建物に居ると臭気などの問題も発生するが、それは飼い主の問題であって、動物の責任ではない。しつけをすれば済む事であり簡単な事なのだ。しかし、そのしつけもできない人達がいるのも現状。飼い主の教育も必要不可欠である。そんな中で、どう建物を設計していくかと言う問題にもなる。やはり、動物の立場になって考える事。人の立場になって考える事。それぞれを、融合していかなくてはいけない。動物の観点から考えると扉は開けられないので動物の力で簡単に開く扉(例、建具とは別に、下方に小窓)や人の観点から考えるとエントランスホール付近に動物の足洗い場などを設置したり、エレベーターに動物が乗っていますよとか解かる様に点灯する装置をつけたり等、考えただけで沢山、思い浮かぶ。何が必要かを私達設計家はいくらでも考えをだしていく。

話は、少し戻るが私は動物を家族として考えていると言った。その矢先、つい最近の毎日新聞に某○○初のペット共存住宅、入居者募集と、うたっている記事が目に入った。お、と思ったが記事を読んでいくと非常に厳しい内容が記してあった。建物に関する設備などは、とても共感を感じたが、動物に関する内容が非常に辛い内容だった。例えば、入居者は動物を飼うときは、届け出る事。これは別にいい、逆に当然かなと思った。しかし、体長1メート以内の動物は飼ってもいいとでていた。大型犬はいけないのか、と思った。この辺から少し考え方が怪しくなってきて、最後は動物にマイクロチップを埋め込むとまででていた。おいおい、である。動物を何だと思っているのか、物としか思っていないのではと思った。しかし、マイクロチップの件は、飼い主の責任でもある。かわいさの余り動物を飼ったが結局は飼う事ができなく、捨ててしまう。という現状がある。やがて、野良犬化して行き人的影響にも及ぶ。全て飼い主の責任であり、飼い主の低レベルが及ぼす行動である。少し厳しい言い方だが実際そうなのだからしょうがない。
本当にペットとの共存は飼い主自体が真剣に考え、取り組まなくてはいけない問題である。

最近、私は思う。もう少しペットの居場所を増やしてはどうかと言う事だ。公園、交通機関に始まり飲食店、ほんのちょっとの気配りでいい。受け入れ態勢を整えてほしいという事を・・・・。



以上
2002.01.08
writing by dai−k

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